9月に上演されたperky pat presents#18「A列車にのっていこう」@ナビロフト。音楽を担当しました。エムラボ通信vol2で少し触れておりましたが、ここでの告知や報告が全くできてなくて申し訳ないです。
新型コロナウイルス感染予防対策をしながらの稽古、お客様への対応と協力をお願いするという、さまざまな緊張を強いられながら無事に終了しました。
本編の話を。
退院したばかりの女子高校生"そら"と看護師の"時枝"が電車に乗ってどこへいくのか...女性性の問題、哲学、宗教、時間、などなど、女性二人の会話、というより"対話"劇。
テーマ音楽と劇中音楽を作曲したわけですが、時間や哲学的なセリフにどうやって音楽を付けていくのは難しい点もありましたが、もともとこういう話題は私的にも好みだったので、あまり苦労とは感じずにできました。
対話が進んでいくうちに、"そら"はひょっとしたら死へ向かっているのかもしれない。そして、それに寄り添う"時枝"、というような二人の関係がえてきます。劇中では明言されないので違っているかもしれない、しかし、なんとなく。
そして最後のシーンで"時枝"は"そら"に「ここからはひとりで行くのよ」と言うと、"そら"は「そうか、でも、ちっとも寂しくないんです」と返します。このセリフに、私は不思議に安心感と許されたような気がしました。なぜなら、私の中では"そら"の言葉は、今までお別れしてきた故人たちの言葉に思えたからです。
死者との別れに深い悲しみと寂しさがあります、そして相手もきっと後悔や悔しさや悲しみがあるのだろうと、勝手に無意識に思っていたから。このセリフを聞いて、なんとなく、あちらの世で故人たちは穏やかに過ごしているのだろう、と、私自身が安心したのでした。
とはいえ、この物語が私が思ったことを示していたのかどうかわかりません、真相は脚本家にしか解らないのでしょう。でも、私にいろんな感情を思い起こさせ想像させた演劇のチカラを、改めて認識しました。
心の底から新型コロナウイルス感染が1日も早く収まりますように、祈るばかりです。